牧之郷周辺

 牧之郷地区は、修善寺橋付近まで流れてきた狩野川の角度が急に西へ向きを変えるあたりで、北は大仁町に接している。川向かいの瓜生野・横瀬に対した地域である。狩野荘内牧郷とも、狩野牧とも古書(吾妻鏡)に記された狩野氏の牧場地であった所で、古くから開け、旧北狩野村役場も長くこの地におかれていた(豆州志稿)。

玉洞院(曹洞宗)の十一面観音像
 牧之郷駅の東側の山手に山門と石段の見えるのが、吉原山玉洞院である。この寺は平安時代の建立といわれるが、幾度かの火災で寺の記録はない。本尊十一面観音像は町内最古の仏像といわれる。特別にお参りできる4月17日の開帳日でないと拝観できないが、ほぼ等身大の一木彫りで、髪型・衣紋・足首の特徴等から平安前期の作といわれている。

日切の地蔵
 日切地蔵尊は約200年前の安永年間(1772〜1780)、この地方に悪い病気が流行し、多くの子供が亡くなったので、その霊を慰めるためにまつられたと伝えられている。現在のお堂は昭和58年(1983)に建てられたものであり、子育てに関係したことや種々の願い事に御利益があり、日限りを切って祈願するのが通例となっている。祈願成就の「おはたし」には晒布の幟や布の乳房型、あるいは小さな地蔵尊奉納するならわしがある。毎月23日が縁日であるが、特に3月と8月は盛大で、こども相撲が催されて大変な賑わいである。

金剛寺跡と加藤景廉
 牧之郷駅付近に殿の前という所があり、そのあたりが加藤景廉の屋敷跡といわれている。景廉は頼朝の挙兵に加わり、大野の堀藤次親家とともに鎌倉幕府をつくり上げた功労者の一人である。いま北狩野荘のある付近を寺中といい、かっては加藤氏の菩提寺「金剛寺」があったが、洪水のため押し流されたまま寺はなくなってしまったと伝えられる。幕末のころ、この寺から1つの舎利瓶(骨壺)が発見された(豆州志稿)。これは、景廉の孫に当る鎌倉極楽寺三代目の高僧「善願上人」の遺骨を納めたもので、その金銅製の器物には「吾が敬愛する祖父景廉の下に埋葬して欲しい」という意味の文字が刻まれている。
 この舎利瓶は、県の文化財に指定され、現在郷土資料館に展示されている。
 また、北狩野荘正面の線路沿いの所に,地元の人たちが、「五輪さん」と呼んでいる立派な五輪塔が六基並んでいる。洪水等で流れたものを組み合わせて安置したものだが、加藤氏一族の墓と伝えられている。

身体障害者保養所「北狩野荘」
 昭和49年(1974)、県の福祉施設として開設された。いろいろな身体障害者のために、安全と便利な配慮がなされた施設で、狩野川を目前に遠くに天域連山を望む静かな環境である。平成12年、県より、バリアフリー宿泊施設の認定を受けた。県内障害者は安く利用できる。
 客室は16室、収容人員は60名、年間利用者数は約1万人である。

牧之郷民俗芸能
 牧之郷の氏神、天神社には民俗芸能として三番叟が伝承されている。三番叟は11月3日の天神社例大祭に奉納される。三番叟の多い伊豆地方でももっとも伝統の古いものとされている。